公務員制度改革を進めた結果、2011年6月に退職勧告を受け、役人生活を終えた古賀茂明さんの「官僚の責任」を読みました。内容は、民主党政権、官僚機構の実体を説明した後、官僚機構の構造的問題を指摘し、今後の日本のあり方について提言しています。
民主党政権、官僚機構の実体については、概ね世間の印象やメディアで報道されている通りで新たな驚きはないですが、官僚機構の内部にいた筆者が世間の想像ではなく現実であることを証明したという意味で意義があると思います。

以下、簡単な備忘録ですが、ちょっと意見も書いています。ただ、みなさんに読んでもらうというより、素人の備忘録なので、あまり気にされないように。。(そんなもの公開するなという意見に対しては、ごもっともですとしかいいようがないのですが)

民主党はウソつきではなく、単なる勉強不足

「霞が関の幹部職員には全員、辞表を書いてもらう。それが政治主導だ」と言い放ち政治主導を実現すると言い続けた民主党ですが、このセリフがそもそも勘違いを端的に表しています。政治家が、政治主導のために官僚に代わって実務を行う必要もないですし、出来るわけもありません。政治主導とは、国民全体の視点で政策を判断、決断し官僚を使って実行に移していくことだと思います。

しかし、本書にあるとおり民主党議員は、知識も判断力もなく、ただやる気だけしかない人々だったのではないでしょうか。考えてみれば、民主党議員の多くは政権を担ったことはなく、自民党の政策を非難してきただけなので、当然のことです。
でも、たぶん民主党に投票した多くの有権者も、その辺のことは分かって投票したのだと思います。民主党を信じるというよりも、自民党では駄目なのは明確なので、奇跡を祈るような気持ちで投票したのではないでしょうか。

ただ、物事を決めたり立案することは、物事(政策)を非難するのとは全く違う能力が要求されます。始めて政権を担った議員は、そのような教育も経験も不足していたのは否めないことだと思います。

本書によると、仙石氏は政治主導を実現するつもりであったようですが、一方ですぐに民主党議員の能力に気づき、民主党議員の能力では政治主導は無理と判断し、官僚主導に切り替え、「官僚とうまく付き合う」ように指示を出したそうです。

ただ、長妻議員は仙石氏の指示に従わず、政治主導で物事を進めようとした結果、厚生労働大臣を更迭されたそうです。ただ、官僚の中でも「どうしようもない役所だよ」と口を揃えるのが厚生労働省ということです。

公務員の生活をささえる構造

民主党の株を上げた事業仕分けですが、やはり実効には至っていないようです。「廃止」の結論がでても、予算項目を変更して復活したり、むしろ焼け太りになった事業が続出したということです。

広く、一般に知られていることですが、本書によると所属省庁の権利を確保、守った役人が優秀だと判断されるということです。

事業仕分けに上がった事業は、当たり前ですがすべて財務省の査定で廃止になっていないものです。つまり、「この事業が廃止になっても、こういう理屈でこっちの事業にすげ替えるから、心配はない」ということだったようです。

一方、民主党の「官僚叩き」は人気とりの側面が大きいようで、事業仕分けは「私たちは国民の敵”官僚”を叩いていますよ」というショーだったと考えるべきのようです。

役人はなぜ堕落していくのか

公務員の給与などの処遇を決めるのは人事院であり「中立的な第三者」であることが求められます。しかし、人事院の総裁はじめ職員は、各省庁からの役人です。つまり、役人が自分で自分の処遇を決めるのです。確か、給与水準に関しては一部上場企業クラスの大企業を基準としており、基準が高すぎるとの批判があったと思います。その裏には、自分たちが民間に就職していれば、大企業に行けたとの意識があるようです。

また、人事院は各省のポストの重要度を格付けする査定権限をもっています。つまり、人事院が役人の処遇を決めるほぼ全権をもっている一方で、人事院は所管団体を持ちません。つまり、天下り先がありません。

そこで、査定に手心を加えて欲しい省庁が、人事院に天下り先を用意するという談合協定があるとのことです。

このようなひどい状態は、さすがにおかしいと思う政治家はいたようで、自民党の甘利議員が公務員制度改革担当大臣だった時に、人事院のもつ査定権限を内閣人事局に移そうとしたようですが、人事院の谷総裁によって会議ボイコットなどの抵抗があり、未だに査定権限はじめ人事院の役割に変化はないようです。

役人の評価は、所属する省庁の利権を拡大することにあることも問題として挙げています。年功序列の役人の世界で、本来の仕事である政策立案などが成果がみえにくい仕事であるために、予算を確保したとか、天下り先団体を確保したなどの目に見える成果が評価されるということです。本書でいえば、”権限と予算と天下りポスト”が評価の三点セットだそうです。

ただ、”「どれだけ中小企業が発展したか」とか「貧しい人々がどれだけ助かったか」という成果は、どのような手法で評価すべきなのか非常に難しいのが現実”と本書には書かれていますが、政策によって業界単位の成長や中小企業が発展したかは、売上、納税額、従業員数などとの相関関係を調べればわかりそうな気がするのですが。

つねにほめられたいという欲求

官僚が利権拡大に励むようになる理由には「常にほめられたい」との欲求が強いことも指摘できると思う。

官僚になるような人は、小さいころから頭がよくほめられることが当たり前であり、それを追求しつづけた結果が、褒められること=利権拡大の追求になったということです。

ここで思うのは、褒められたいというのは官僚だけでなく、人間の欲求だと思いますし、ほめられたいから努力するわけで、そのことを否定するのではなく、問題は、褒められる行動設定だと思います。つまり、評価を国民経済、生活への貢献に変換すればよいのではないでしょうか。

また、「省のために副産物をつくる」以外の官僚の評価基準は、”労働時間”ということで官僚たちは残業にせっせと励み、霞が関は不夜城と呼ばれているのは、その結果ということです。
霞が関の幹部官僚は通常時間が終わると外部との打ち合わせと称して酒を飲みにいき、夜9時か10時頃帰ってきて、それから仕事をするそうです。

官僚が堕落する最大の理由は、充実すぎる身分保障にあると考えているようです。公務員という職業は一度なってしまえば基本的に毎年給与があがり、昇格するようになっているため、キャリア組であれば、無能であっても20年経てば課長になり、50歳くらいで1,500万円、ノンキャリア組でも1,000万円近くが保証されているということです。

定年まで解雇になることも、降格、給与減棒もない。定年後も再就職まで用意されている。年金支給年齢が65歳に引き上げられるのにともない公務員の65歳まで延長しようという動きがあり、人事院が「定年延長すべき」との見解を示し、具体的スケジュールにまで言及しているそうです。

人事院が公務員の定年延長を言及したのは、「年金支給時期が65歳になるにともない、雇用も65歳まで確保できる社会にならなければいけない。ただし、民間はなかなか、そうした方向に向かわない。だから、公務員がまず先陣をきって見本を示さなければいけない」とかいう理由をつけたのではないでしょうか。

増税しなければ国は破綻するぞという脅し

日本の国家財政はいま危機的状況にあり、赤字の構造は一時的なものではなく構造的な問題であり、借金返済の見通しはまったくたたない。政府は、それをギリシアやアイルランドの財政危機を引き合いにだして正当化しようとしている。

「増税に反対すれば、どうなるかわかりませんよ。めちゃくちゃになったとしても、増税に反対した人の責任ですよ」とみずからの失敗は棚にあげて、国民の不安を煽り、脅しをかけているのである。

公務員は自らの利権(生活水準)などを放棄する気が全くなく、「困るのは国民ですよ」と増税を迫っているという状況のようです。

今は、まさに野田内閣が「復興増税」と近い将来の「消費税率拡大」の2つの増税を迫っている時期ですが、国民も(以前よりは)「しょうがないかな」という雰囲気になっているような気がします。これは、まさに「ネガティブキャンペーン」が効いているということではないでしょうか。

問題の抜本的解決のためにの公務員制度改革は、「何人クビにしろ」「何割給与を下げよ」ではなく確かな評価システムの導入により、身分保障制度を廃止し、実力主義の採用ということです。

公務員の場合、評価システムが難しいと古賀さんも思っているようですが、例として閣議決定である事業に「廃止」の判断が下ったとしたら達成期限を設定し、もしできなかったらクビにする可能性があり、看板のつけかえをしたら即刻クビだと命令することを挙げています。

多分、今日本は課題は明確なのに、国としての戦略が明確じゃないんだと思います。課題とは、国の借金の増加による社会保障制度への不安。それが引き起こしている消費引き締め。さらに、それが引き起こしている不況、失業率の増加です。もちろん、そんなことは誰もが分かっており、選挙のたびに問題解決のために公約を掲げていますが、全然進みません。根幹は国家財政の建て直しなのに、いつだって不況だからとかなんだかんだで、借金は増え続けています。近年では、非常に人気が高かった小泉政権でも借金は増加しています。国民は、選挙のたびに国のムダを省いて借金を減らして安心できる社会を築いて欲しいと思い投票しています。前回も、自民党がダメだというのが明確だったこともありますが、民主党の掲げたムダを省いて増税なしに財政を立て直すというマニフェストにすっかりだまされた(少なくともいままでのところ)という状況にあると思います。

また、潜在能力の高い人間には若いうちから意味のある仕事をさせればメンタリティは絶対に変わるということで、若い官僚を横断的に組織化し、国家的な課題に取り組ませるというようなことも有効ではないかということです。

さらに、官僚だけでなく民間も含めたバックグランドが違う人材をあつめることで、困難な課題を解決できる例として、産業再生機構の例を出しています。

産業再生機構は、ファンド、銀行員、コンサルタント、弁護士などがあつまり事業の立て直しを行い、国家負担に頼ることなく、5年の期限を4年で終え、税金を払える事業体にし、500億円の利益を生み出したそうです。

「ちょっとかわいそうな人は救わない」

日本財政再建に必要なことは「ちょっとかわいそうな人は助けることができません。自分の力でがんばってください」という原則をメッセージすることだと考えているそうです。

具体例として「身分を保証しない」ということを挙げています。身分とは、まずは官僚(一度官僚になると年功序列で定年まで昇給が保証されている)、農家、同族会社の後継者、医師会に守られた開業医などを挙げており、大きくいうと「正規雇用者」は守られすぎということのようです。

また、高齢者に対しても身分を保証すべきではなく、年金制度成立時の基本的な考え方「平均寿命より長生きした人を救うための制度」に戻し、平均寿命までは元気な高齢者は働くべきで、働かないで15年くらい面倒を見てもらうという、仕組みはなりたつはずはないということです。

これは、私には結構、過激な意見に聞こえました。というのは、若者ですら仕事がない状況で高齢者が仕事を見つけるのは簡単ではないと思うからです。

ただ、古賀さんもセーフティネットの構築は重要だとしており、身体的理由で働けない人以外にも働く意思があっても職を見つけられない人に対しては職業訓練や教育に徹底的にお金をかけるべきと意見のようです。

TPPに関しても日本の産業全体にとって重要なことであるが、農協を中心とした団体が反対しており、農協票に頼っている議員が反対している。TPPは農業にとっても市場拡大が見込める機会となり、悪い話ではないはずだということです。これも、結構、一般論と一致していると思います。

中小企業政策の誤りについてもふれており、中小企業を保護しすぎた結果、ほとんどの中小企業が生き残った代わりに、中小企業の淘汰が行われず、かっての松下電器産業やソニーのように、中小企業から大企業が生まれるケースが減少しているということです。

中国との関係においては、労働量で勝負していては確実に中国に負ける。頭を使って効率的に利益をあげなければいけないということです。ただ、頭を使って効率的に利益を上げる産業の最たるものが金融で、利益追求の果てがリーマン・ショックであったことを考えると、あんまり民間に自由にさせると、ものすごいしっぺ返しがくるかもしれないと思います。つまり、利益の追求を企業に推奨すると、古賀さんのいうとおり、正規雇用が減り、企業の利益を最優先させ、社会問題に発展するようなことが蔑ろになる可能性があるような気がします。その結果は、逆に社会不安を導くのではないでしょうか。
まあ、いまは不況でケインズ的な発想に陥りがちなのかも知れませんが。

ただ、本書に登場してくる中国人経営者のいう「このままいけば日本人はみな、今の中国人と同じレベルまで生活を切り下げるしかありませんね」とう意見は、案外、的外れではないかも知れません。

古賀さんのいう身分の最たるものが「日本人」という身分である可能性があり、その身分制度が不安な状況にあるからです。

日本人経営者では国際企業を経営できない

古賀さんは、日本人社長では国際的な競争に太刀打ちできない。M&Aが加速的に進むが、たいていの場合、買収した側の経営者のほうが優秀だから、日本人経営者は淘汰されると述べています。今、歴史的円高という背景もあり、海外でのM&Aが盛んになっていると言われています。確かに、優れた企業をバーゲン価格で買えるかも知れませんが、実際に経営できるかは別問題だと思います。

日本経済の国際化は必然であり、海外進出もすすめるべきである一方で、外国企業の日本進出もすすめるべきで、法人税を下げ、日本への誘致活動を活発化せよということです。これも、目新しいことではなく、すくなくとも地方では90年初頭から言い続けられていることです。ただ、地方行政は外国企業がこないのは、駐在員が住める広くて立派なマンションがないとか、インターナショナルスクールがないからだという、ちょっとピントのはずれたことになりがちです。外国企業が進出するのは、ビジネスの拡大であり、そこにビジネス的な価値があれば、マンションがあろうがなかろうが来ると思います。

問題は、日本に進出するビジネス価値が減少しているということではないでしょうか。

英語という問題

これもよく言われることですが、古賀さんは日本人は能力では外国人に引けをとらない。英語さえしゃべれれば、鬼に金棒だと言っています。ネイティブの英語の先生を増やすことは、日本人英語教師の権威が落ちるため難しいということです。

国家の意思

エネルギー政策に関しては国家の意思が必要ということで、原発に関しては国家の意思があり「なにがなんでも原発推進」ということで、地元の理解がなかろうと、技術、資金がなくても、どんどん問題を解決していったそうです。

そこで古賀さんが言いたいことは「国家の意思をもって事にあたれば、相当なことができてしまう」ということのようです。

なので、「なにがなんでも再生可能エネルギー推進」という国家の意思が形成されれば、エネルギーのあり方は大きくかわるだとうということです。

ここで気になったのは「国家の意思」とはなんだろう。それは、どうやって形成されるのだろうということです。

最近で言えば、「国家財政の危機と立て直しが急務」ということは国民の意思だと思うのですが、どうも物事は進んでないようですし、すすむ気配もありません。ということは、国家の意思は国民の意思とは違うようです。

国家の意思については興味があるので、ちょうど猪瀬直樹氏の昭和16年の夏を読んでいる最中です。

ちなみに原発に関しては、国民の意思ではなく自民党の意思だったということです。原発の推進が自民党にとって、どのような意味があったのかはわかりませんが、利権も当然あったと思いますが、エネルギー資源が豊富でない日本国経済のために効率的な(安価な)エネルギーが必要という純粋な意思もあったのかも知れません。今になって思わぬ結果にはなっていますが。



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