スティーブ・ジョブズ自伝の発売に先駆けて著者のウォルター・アイザックソン氏がCBSの人気番組60Mitutesに出演しジョブズ氏について語りました。

Steve Jobs’s Biographer on “60 Minutes” :前編

その要約は、Steve Jobs’s Biographer on “60 Minutes”: The Highlightsで読むことができますが、簡単に和訳させていただきましたので参考にしてください。最後のセリフ”that’s why I don’t like putting on-off switches on Apple devices.(だから、私はアップル製品にオンオフ・スイッチをつけなかったんだ”は感動します。

[和訳]
ジョブズ氏がアイザックソン氏に伝記を書かないかと誘ったのは7年前でした。アイザックソン氏は、“ジョブズ氏はまだ若かったので、なんて生意気なんだろう、伝記なんてまだ早いと”思いました。しかし、アイザックソン氏はその時、ジョブズ氏が膵臓癌の手術を控えていることを知らなかったのです。

アイザックソン氏はジョブズ氏について、“短気で傷つきやすい”性格と表現しています。“その当時、ジョブズは、誰に対しても本当に、本当に意地悪でした”それが例え、レストランのウェイトレスであれ、一晩中コードを書いているプログラマーであっても。
“なんでそんなことをするんだい?どうしてもう少し優しくなれないんだい?”と聞かずにはいられませんでした。そうするとジョブズ氏はこういいました。“みんなに本当に完璧を目指して欲しいんだ。それが私なんだ”と。

アイザックソン氏は、ジョブズ氏の性分と欲求の多くの部分は、子供時代のいくつかの重要な出来事に関係していると考えました。例えば、ジョブズ氏の養父ポール氏とフェンスを作っていたときの話です。ポール氏は“例え、誰も見ないとしても正面と同じように背面もきれいに作らないと駄目だ。例え、誰も気づかないとしても、君は知っているし、フェンスを両面ともしっかり作ることは、君が物事を完璧に作り上げることを証明することになるんだ“と言ったそうです。

ジョブズ氏は、ベイエリア文化にも影響を受けました。それは単にヒューレットパッカードのオフィスが近くにあったということだけではなく、カウンターカルチャー精神においてもです。“ジョブズ氏はヒッピー文化に影響を受けた反逆児だった。ボブデュランを愛し、アシッドに浸かり、エレクトロニクスを愛した。ジョブズ氏は、ゲームメーカーのアタリ(Atari)で働いていたときに夜勤をしなければいけませんでした。というのは、ジョブズ氏は裸足で歩き回り、お風呂にも入らなかったため、同僚が一緒に働くのを嫌がったためです。

ジョブズ氏は、アタリ勤務時代に7ヶ月の休暇をとりインドに旅にでました。そこで禅仏教に出会い、デザインセンスに大きな影響を受けたのでした。それは、シンプルであることが究極の洗練であるという禅仏教の考えでした。

ジョブズ氏は帰国後、スティーブン・ウォズニアック氏とともに、原始的なコンピューターを趣味人のために彼の両親のガレージで作り始めました。たった1,300ドルの資金で。ジョブズ氏は”25歳になるまでに、アップルは50ミリオンドルくらいの価値があった”と言っていました。“私はこれからずっとお金の心配をしなくていいと思っていました”

ジョブズ氏は生来、権威を有難がりませんでしたし、常識は自分には当てはまらないと感じていました。彼のメルセデスベンツスポーツはこの原理原則を証明するかのように、ライセンスプレートを取り付けられることはありませんでした。

アイザックソン氏はパロアルトのジョブズ氏の自宅について、極めて普通だと表現します。“普通の通りの普通の家。サイドウォークも普通。車寄せも普通。セキュリティフェンスもない”。ジョブズ氏は、”多くの金持ちになった人のような豪華な暮らしには興味がない”と言っていたそうです。

ジョブズ氏は、かってシリコンバレーでレストランを経営していた生みの父親と再会を果たしています。しかし、ジョブズ氏は、父親に自分が息子であることを明かしませんでした。ジョブズ氏によると“レストランには1度か2度行った。シリアから来たというオーナーに会ったことも覚えている。それは間違いなく私の父親だった。私は彼と握手をした。でもそれだけだ”ということです。

ジョブズ氏の癌は、肝臓結石のチェックをしているときに偶然、見つかりました。膵臓に悪性腫瘍が見つかったのです。ジョブズ氏は最初の9ヶ月はいくつかの自然治療を試みましたが、結局は手術しかなくなりました。手術の時には、膵臓内に癌が広がっていました。アイザックソン氏によると“ジョブズ氏は、手術を遅らせたことを後悔していた”そうです。

2008年を通して、みんなには完治したと言いながら、秘密に癌治療を行っていました。しかし、この時に癌は肝臓にまで広がっていたのです。

最後の2年半の月日は、ジョブズ氏は外出も旅行もしたくありませんでした。ジョブズ氏は、ただアップルでiPhoneやiPadといった製品開発に集中したかったのです。アイザックソン氏は、“ジョブズ氏はテレビも制覇したかったのだと思います”と述べています。“とっても簡単に利用できるテレビを。そして同時に家族との時間も大切に考えていたのです。それはつらい闘病生活でした。”

最後に会ったとき、ジョブズ氏は時々“死”について話題にしました。“人生がアーク(円弧)のように見えるんだ。それは何事もなかったように終わってしまうんだ”と。“人は一人で生まれ、一人で死んでいくんだ。重要なことなんてほかにあるかい?確かなことはスティーブがいなくなるってことだ。分かるかい?なんにもないんだ”
*ここは、うまく訳せている自信がないので、原文を読んでください。
* Jobs occasionally brought up the subject of death in their last meetings. “I saw my life as an arc and that it would end and compared to that nothing mattered,” Jobs said in a taped interview. “You’re born alone, you’re going to die alone. And does anything else really matter? I mean what is it exactly is it that you have to lose Steve? You know? There’s nothing.”

ジョブズ氏は、神の存在を“少しだけ”信じるようになったと言っていました。”それはきっと来世を信じたいからだね。つまり死んだとしても、全て消えるわけじゃない。これまで積み重ねてきた知恵。それは生き続けるんだ“と。
その続きの前にジョブズ氏は一呼吸おいて言いました。
“でも、時々、人生が単なるオン・オフスイッチのように思えるんだ。クリック。そして消える。だから、私はアップル製品に電源のオン・オフスイッチをつけなかったんだ”

Steve Jobs’s Biographer on “60 Minutes” :後編



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